クラシックレンジローバー / ディフェンダー部品 全国通販

店長のレンジローバーのある人生をご紹介します

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このページでは店長、舘脇信王丸のランドローバーとのかかわりをご紹介します。

店長、舘脇信王丸とランドローバー

 ランドローバーに興味を持ったのは、忘れもしない小学生の頃。

兄が買ったクルマ雑誌『CAR GRAPHIC カーグラフィック』(1976年4月号)に、レンジローバーの特集記事がありました。

カーグラフィック

カーグラフィック

カーグラフィック

 当時、父親は三菱ジープに乗っており、兄も私も物心ついたときから四輪駆動車が大好きで育ちました。私が大人になったらトヨタランドクルーザー40が欲しいと思っていました。地元のトヨタディーラーからカタログを取り寄せたり、新車発表会のときは自転車で見に行った事もあります。

 そんな時分に読んだのがレンジローバーの記事。すごいクルマだな-と思いました。そう思った理由は、何と運転席の床にカーペットが敷いてある!ということでした。

 当時私の家では、ジープは実用品の質実剛健そのまんま。

 雨具を着たまま泥だらけで乗っていた我が家のジープとの生活には想像だにできない世界がレンジローバーにはありました。

三菱ジープJ-52

自宅周辺で使っていた三菱ジープJ-52。

※一番最初に使った四駆はスズキジムニー360、次に三菱ジープJ-3R、次に三菱ジープJ-24、そしてこの三菱ジープJ-52と乗り継いできました。
このジープは今なお緊急時対応車両(エマージェンシービークル)として真夏でも4輪にタイヤチェーンを巻いた状態で自宅に保管してあります。

 ですから、高価で性能も良くてすごいクルマかもしれないけれど、自分には縁のないクルマ、一生で一度乗れたらいいなーくらいに思っていました。

 それから20年以上経ち、社会人となりました。当時は東京でサラリーマンをしていて、シトロエン2CVに乗っていました。(従兄弟から中古で買った)

 エンジンは小さいですが、軽くて良く走ります。子供の頃からずっと四駆に乗ってきましたので二輪駆動車をバカにしていましたが、アスファルトでは二駆で充分。

 東京で大雪(といってもわずか十センチ位)が降ったときは2CVにタイヤチェーンを巻いて街を走ってみたらガンガン走りました。腹下が比較的高くてスッキリしているので、悪路もそこそこ走り、良く出来たクルマです。
そもそもフランスという国は実は農業大国で、田舎道も多い。だから不整地に強いのは2CVが作られた時代を考えれば当然といえば当然です。

 田舎道でも卵を割らないようにと設計された柔らかーいサスペンションは、本当に良くできていると感心しました。

 ところで、後に私の人生を形作るレンジローバーの柔らかーいサスペンションも、シトロエンの思想を継承しているように思われます。

(サスペンションの考え方は、同じく本格的オフロード車両、ゲレンデワーゲンとは全く思想が違います。後に手に入れたゲレンデワーゲン300GDと比較してそう思います)


 東京でのサラリーマン生活では四駆は必要ないとはいえ、やはり子供の頃からの憧れだったレンジローバーに乗ってみたいという思いはずっと持っていました。

 奇しくも、仕事でエチオピアに滞在中の知人からクラシックレンジローバーの写真が送られてきました。これがそれです。

画像の説明

クラシックレンジローバーの写真はがき。

この写真は、典雅なボディスタイルにも関わらず質実剛健な実用車としての機能美を併せ持つクラシックレンジローバーを良く表現しており、大好きな写真の一枚です。勤務先の寮の枕元の壁に貼付けて朝晩眺めていました。

 ところで。

 しばらくして、やはり従兄弟(いとこ)のツテで、クルマ屋さんから中古のレンジローバーを業販価格で譲りますがとのお話しが舞い込んで来ました。

1990年型北米仕様。4AT、左ハンドル。
1996年10月の事です。

 最初は、やはりレンジローバーが大好きな兄に話しが来ましたが、兄は「オートマには興味がない」とのことで、私が購入することに。

 私も本当は、マニュアルが欲しかったのだけれど、まあこれでレンジに慣れて、そのうちマニュアルを手に入れよう、と・・・。

そんな感じでレンジローバーのある人生がスタートしました。

 ちょうどレンジローバーを購入することになった頃、最初の転勤となり、東京を離れて岐阜に移ることになりました。職場が変わり住む場所も変わるので、しばらくレンジローバーを新潟の兄に預かってもらうことにしました。

 仕事と生活に慣れた1年後、ようやく岐阜にレンジローバーを持って行くことになりました。

 これから始まるレンジローバーのある人生をどうしようか、一番ワクワクしていた頃。
 1997年12月、ランドローバー生誕の地、本場イギリスにランドローバーを訪ねる旅に出ました。

 イギリスのランドローバー専門誌に登場するレンジローバーとそのオーナーに直接お会いすることができました。

 レンジローバーについて彼が語った衝撃的な事実とは。(別のページで改めてご紹介したいと思います)

画像の説明
ランドローバーの両側にゴムの「浮き」を付けたもの。水上を航行することができます。ゴムの浮きは排ガスで膨らませます。

 日本ではお目にかかれないランドローバー、そしてランドローバーに関わる個性的な人達を見ることが出来た、貴重な体験でした。1年後の再訪と併せ、私のローバーライフの方向性を決定づけることになる旅でした。


 日本に戻り、レンジローバーのクロスカントリー(オフロード)性能を試すことが私の課題となりました。

 四駆用オフロードコース(ブロンコ)にて、レンジローバーで最初の思い切ったオフロード走行。泥濘地(でいねいち)でグリップしないため、4輪にタイヤチェーンを巻きました。
 前に進まないのでブン回したらいきなりグリップして立木に激突。前バンパー左側が凹みました。この模様を見ていた人の、驚いた顔が忘れられない。。。

クラシックレンジローバー

フロントバンパーが凹みましたが、幸いにも機関は全く問題なかったのでそのまま岐阜まで乗って帰りました。

クラシックレンジローバー

 で、岐阜に戻り、古くからランドローバーを扱っている修理屋さんを訪ね、修理しました。

幸いにも前バンパーの他は大丈夫だったので、板金修理だけです。

この頃、既にイギリスから部品を輸入していたのでフロントバンパーを新品に交換しようと思えば簡単にできたのですが、どうせクロカン(クロスカントリー)すれば変形するのは目に見えているので、いちいち交換せずに、とりあえず大きな変形だけ直して、細かいことは気にせずに乗ることにしました。

 前バンパーを取り外し、アセチレンガスで暖めてハンマーで思いっきり叩いて直しました。修理代を浮かすために、修理屋さんに丸投げせずに、できることは自分でやりますと宣言して、自分でできない事をやってもらい、わからないことをお聞きして修理を進めました。

レンジローバーの前バンパーは、バネのような材質で、成形するのは大変でしたが材質は良いことがわかりました。

別のオフロードコースにて。

 やはりコースはドロドロのため、4輪にタイヤチェーンを巻きました。

 右端の荷物は、レンジローバーからおろした私の物資。オートマミッション用のATF(エーティーエフ。作動油)も常に載せていました。

(会社の寮住まいで、置き場所がなかった)

画像の説明
 坂道で上れず、水たまりにおしりが浸かりました。(エンジンは問題なく粛々と回っています)

結局、ローバー仲間のディフェンダー110の電動ウインチで牽引してもらいました。

 この頃、こんなものを作りました。

画像の説明
「エンジンオイルフィルター回し」です。

 アルミ板をホームセンターから買ってきて、穴をあけてヤスリで成形して出来上がり。オイルフィルターの周りのカクカクの形が2種類あることがわかり、2つ作りました。

 今から思えば、仕事では机に向かってパソコン仕事がほとんどでしたので、こうしたローテクの手仕事をやりたかったんだと思います。

 この頃、これまた別のオフロードコースにて、前デフを大きな石にぶつけて穴をあけてしまいました。前プロペラシャフトとハーフシャフトを外してFR(2輪駆動)で帰投。

岐阜に戻り、ホーシングを交換しました。

画像の説明

部品は、ローバー仲間のツテで中古部品を譲ってもらいました。

RR_991016_maeho-sinngukoukann 001_200.jpg
上(白っぽい方)のデフハウジング穴があいた。

下(黒い方)は、これから取り付けるもの。(中古部品)


1998年3月、イギリスを再訪。

老舗のランドローバー修理店主催のイベントを訪問しました。

FC101ランドローバー

FC101(えふしーいちまるいち)。

 フォワードコントロール、つまりキャブオーバーのランドローバーです。愛好家は多いです。

ランドローバー

 仮設テント内にはネジや歯車などの細かい部品、露天にはボディやホーシング、バンパーなどの大きな部品が所狭しとおかれています。

 それにしてもイギリスの地方のせいもありますが、広くてなだらかな田園風景での光景は、本当に気持ちがゆったりします。

 ランドローバー修理工場内にも大量の部品があります。夫婦でお買い物においでの方も多いです。

 写真右下には、ランドローバーシリーズ1のドア枠やフロントウインドウといったガラス物が並んでいました。

 彼の地のランドローバーの歴史の厚みを感じることができました。また同好の士との出会いは本当に良い経験でした。

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 この頃、四駆の走行会で泥濘地でスタック。あろうことか京都の有名なランクル御大に牽引されるという屈辱を受けました(笑)。

 そのランクルが履いていたのが、シルバーストーン社のMT-117(通称ジャングルクルーザー)。あのタイヤをレンジローバーに履けないか?

ボディを改修すれば何とかなることが判明し、やってみました。

 写真右下がMT-117ジャングルクルーザーです。35インチ相当。後ろフェンダーと後部座席ドアを板金してタイヤが納まるようにしました。

クラシックレンジローバー

 タイヤをよく見るとホイールと分かれています。まだチューブを入れていなかった。大きさを診るために試し履きしたものです。

 そうこうするうち、リアタイヤフェンダー(泥よけ)が小さいことがわかり、Cピラーを切り取ってフェンダーを上に持ち上げる必要が出てきました。すると、切り口から水しぶきが室内に入ることが判明。

で、防水シート(銀シート)でフェンダーを覆うことにしました。
クラシックレンジローバー
青色の帯状のものは、ホームセンターで買ってきたアルミ板です。
(表面保護のための薄いビニールシートがかぶっています)

 ボディをいろいろいじっていく過程で、

「ボディはいらないのではないか。スキーにボディは無い。マウンテンバイクにボディーは無い」

と思うようになり、けっきょくボディをほとんど取り去ることにしました。

クラシックレンジローバー

 金ノコでピラーを切りました。ものすごくローテクですが、金ノコでもやれるということです。大きな目的のためには手段はどうにでもなる、という見本です(笑)。

クラシックレンジローバー

オフロードでの安全を考え、ロールゲージを作成しました。鉄パイプをベンダーで曲げ、溶接しました。

クラシックレンジローバー

岐阜で間借りしていた工場の一角にて。

ノーマルタイヤを4本重ねて、前右タイヤを乗せてみました。

右後ろタイヤはちょっと浮いています。

この頃、レンジローバーの改修のために工場の一角を借りていました。

せまいアパート住まいのため、レンジローバーをここに収納し、本棚も置いていました。今から見ると、とにかくモノがごちゃごちゃ置いてありますね(笑)。

2003年7月、お引っ越し。レンジローバーを新潟の実家に移動しました。

 仕事が忙しくてレンジローバーをいじったり乗ったりする時間がなくなり、アパートと工場のダブル家賃も気になりだしたので、いったんリセットを掛けるために新潟の実家にレンジローバーやら道具一式を持って行くことにしました。

 岐阜から新潟へは日通さんに運んでもらいました。聞けば、自衛隊の戦車も運ぶとのことです。(もちろんもっと大きな車両に載せますが)

クラシックレンジローバー

レンジローバーの左に見えるのが、米軍の1/4(よんぶんのいっ)トントレーラー。岐阜にいるときはこれに冷蔵庫やら家財道具を載せて自分で引っ越しをしたこともあります。あると便利です。

新潟の実家近くに届いたレンジローバーと1/4トントレーラー。

クラシックレンジローバー

私は新幹線で一足先に着いてお出迎え。
バギー仕様となったレンジローバーを実家で試乗。

自宅近くの斜面を登ります。

クラシックレンジローバー
 タイヤはシルバーストーン社(マレーシア)のMT-117。通称ジャングルクルーザー。ホイールはイギリスの特注ホイール「マッハ5」(まっはふぁいぶ)。鉄製で、わりと軽いです。

 なお、タイヤはチューブレスではなく、ちゃんとチューブが入っています。タイヤの空気圧はものすごく低くしてあり、0.3kg/cm2くらい。車重が軽いので、空気圧を下げてタイヤを柔らかくしないとグリップしません。後ろコイルスプリングもノーマルのままでは堅くてどうしようもありません。

 特注のバネレートの低い、柔らかいコイルスプリングに交換しました。

 後ろデフを溶接して、デフ機構を無くしました。(いわゆるウエルドロック)

常にどんなときでも後ろの両輪は同時に回ります。

なお、溶接する場所は、ギア(歯車)の部分を溶接しては絶対にダメで(歯車が欠ける)、ギアと軸(鉄の丸棒)を溶接しなければならない、ということを教えてもらいました。

クラシックレンジローバー

電子制御V8エンジンを制御するコンピュータは、この緑色の箱の中に納めています。ホームセンターから買ってきたお道具箱。

 ややこしい配線が大量にあります。完全防水とはいきませんが、防雨、防雪にはなっています。


2003年夏。
この頃、仕事の能率がものすごく悪くなり、なんでだどうしたんだろうと思っていました。夜、眠れない。昼間はもうれつに眠い。

 意を決して、職場の産業医さんに診てもらったら「うつ症状」とのことでした。

で、抗うつ剤を処方されました。

今現在は「うつ」は広く知られるようになりましたが、当時「うつ」という病気を知らず、ショックでした。正直、職場の人にも知られたくありませんでした。

その後、秋には仕事が手に付かなくなり、自宅療養することになりました。

 自宅にはレンジローバーがあり、図らずもいつでもいじれる、乗れる生活になりました。ところが不思議なもので、レンジローバーをいじろう、乗ろうというワクワクした気持ちに全くなれませんでした。仕事を途中で投げ出してしまったことの済まない気持ち、その分同僚の仕事がきつくなること(職場の連中はただでさえ夜遅くまで仕事をしていたのに)への罪悪感・・・・。

 レンジローバーに乗りたくなくなったこのこの頃。

 それからしばらく、レンジローバーから離れていました。
2008年7月。

体調も良くなってきて、ふとレンジローバーに乗ってみようという気持ちになりました。

ちょうどローバー仲間がランドローバーシリーズ2で和歌山からやってくることになりました。で、折角(せっかく)の機会だからとレンジローバーを引っ張り出し、試乗会をしました。

またまた折角だからと、動画を撮ってもらいました。

こちらでご覧いただけます>

ようやく、5年振りにレンジローバーでワクワクした気持ちになりました。
そして2009年11月。

今まで会ったことのないローバー乗りの方から問い合わせがあり、ランドローバーシリーズ1(1955年型)の駆動系の部品を探しているとのこと。

 で、イギリスから部品を注文してお届けたところ、喜ばれました。

 そのことで気がつきました。

 そうか、オレはランドローバーが好きな人が好きなんだ、ということ。

 そこで、ランドローバーを修理する良心的なクルマ屋さんと、ランドローバーをこよなく愛する方のためのランドローバーの部品販売を始めることにしました。

 ランドローバーが好きな方が、末永くランドローバーを乗り続け、持ち続けるためのお手伝いをしたい。そのような思いからです。

 ではなぜ、他のクルマではなく、古いランドローバーなのか?

 たんに四輪駆動車なら、昔と違い今は沢山あります。

 私が子供の頃は、三菱ジープ、トヨタランドクルーザー、スズキジムニーといった、無骨だが本格的な四駆だけでした。車種は少なかったが、それなりに悪路に強く、オフロードで本当に使える四駆でした。

 今や時代は変わり、乗用車でも四駆は普通に選ぶことができ、車種としてはものすごく多種多様になりました。

 しかし逆に、本当に悪路に強い頑丈な四駆というのはどんどん減っています。今や三菱ジープは1車種のみになり、ランクルは大きくなりすぎています。ランドローバー社も、都会向けのクルマ作りをするようになりました。

 私が大好きなレンジローバーにしても、フルモデルチェンジした2代目は大きすぎ重すぎて実際にオフロードで走るクルマでは無くなってしまいました。現行の3代目は更にその傾向が顕著になりました。レンジローバーは新しくなればなるほど、もはや私にとって魅力の無いクルマになってしましました。ディスカバリーも同じ傾向にあります。

 そんな状況にあって、古いランドローバーくらいしか欲しい四駆が無くなっている。この気持ちは私だけではなく、オフロード愛好家さんも同じ気持ちでいらっしゃることと存じます。

 ランドローバーはオフロードで本当に使える正統な四駆であり、必要とあれば自分で修理できる構造で、キチンと手入れをすれば長持ちする造りです。

 ただ、残念ながら日本国内では部品の供給が満足ではなく、修理ができずに泣く泣く手放さざるを得ないという状況があります。これを何とかしたい。

 このような思い一心で、ランドローバーの部品販売をしています。

 なお、ここで言う「ランドローバー」とは、以下を指します。

●ランドローバー シリーズ1

●ランドローバー シリーズ2、シリーズ2a

●ランドローバー シリーズ3

●ランドローバー FC101(エフシーいちまるいち)

●ランドローバー ディフェンダー 90(ナインティー)、
 110(ワンテン)、130(ワンサーティ)

●クラシックレンジローバー

●ランドローバー ディスカバリー

年式としては、1948年〜1995年式となります。

以上の通り、旧き良き時代のランドローバーを愛する方に誠心誠意対応させていただきます。

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